県予選を突破し、10月に開催された高校新人陸上競技関東大会に2人の選手が出場を果たした小田原城北工業高校陸上部。新人の登竜門にあたる大会に、鈴木充顧問(59)は8年連続で教え子を送り込んだ。
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箱根町大平台出身。正月には親に連れられて当然のように駅伝を観戦していた少年にとって、陸上に興味を抱いたのはごく自然な流れだった。西湘高校在学中、本格的に陸上を始め、中学時代からの夢だった体育教師を志して陸上の盛んな順天堂大学へ進学。全国の実力者が集う陸上部に所属して中距離を専門に練習に励んだが、思うような成績を残すことはできなかった。
卒業後、念願の高校教師に。初の赴任先の湘南高定時制で陸上部顧問となって以来、当時の栗原高、小田原城東高、そして小田原高と異動した先々で顧問を買って出た。
練習中に声を荒げることはなく、「それそれ、いいじゃんかよぉ」と口調ものんびり。「本人がやる気にならないと仕方ない」と、無理な練習を強いらないのも鈴木流。だが、伸び伸び練習できるスタイルが自主性を引き出し、全国レベルの選手を多数育てた。
しかし、後に五輪に出場することになる松下祐樹さんを指導して1年目のこと、学校へ向かう百段坂で校長に呼び止められた。「申し訳ないけれど、もう陸上はあきらめてくれ」――。
決まった次の赴任先は、陸上同好会しかなかった城北工高。それでも前向きに捉え、小田原高OBらが集った送別会では、社会人となった教え子に「営業成績が芳しくない支店に異動命令が出たら、そこで結果を残すんだ。俺が手本を見せてやる」と強気に宣言した。
とはいえ、新天地でたった2人の同好会メンバーを前に、寂しくてこぼれた涙。それでも、練習環境を整備しつつ、中学で陸上部だった生徒を調べあげ、24人に「一緒に頑張ろう」と熱意を込めた直筆の手紙を送付。すると、その全員がグラウンドに姿を現した。
「中学で荒れた生徒も多かったけれど、人に認められることがうれしかったのかな」。同好会から部へ昇格。陸上不毛だった学校を、インターハイや国体にも度々出場する強豪校へと育て上げた。「どんな生徒も何かしら才能がある。いかに導くかの極意は、褒めること」
休日返上で陸上部の指導に明け暮れた教員生活も、あと1年と少し。「最後はインターハイで終わりたいかな」と控えめに語った。
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