「現代の名工」として表彰された左官職人 三上 誠司さん 寿町在住 74歳
鏝(こて)一丁、道を突き進む
〇…卓越した技を持つ第一人者として厚生労働大臣から表彰された。「好きなことを58年間やってきただけ。何か大げさになっちゃって」と照れ臭そうな顔を見せる。ただ一筋、「左官道」を突き進んできた。「左官は鏝一丁の生命。壁を塗るだけではない、奥の深さが魅力」と語る。
〇…津軽富士の麓、青森県中津軽郡東目屋村で生まれ育つ。中学を卒業後、職業訓練所で左官の基礎を学ぶ。実家からダットサンに揺られて約4時間、青森市の親方の元へ弟子入りしたのは16歳だった。住み込みでの見習い修業。飯炊きや床掃除などの雑用も辛いと感じたことはなかった。技は自らの目で覚えた。「職長になって認められたい」その一心で修行に励んだ。
〇…東京、富士市と修行を重ね、職長として初めて仕事を任されたのは22歳の時。「やれば出来ると実感した。とにかく楽しかった」。25歳で独立。翌年、会社も設立し約50人の職人を抱える大所帯に。「夢中で怖さも知らなかった」。順調だった生活はオイルショックを機に一転。「仕事ない、セメントない。一番ないのは金だったよ」。会社は倒産、残った6人の職人と家族を連れ、仲間のツテを頼って小田原へ。「小田原の人は温かくて。仲間や家族、周りの人たちに助けられた。感謝しきれない」としみじみ。会社は失ったが左官職人としての腕があった。仲間と共に懸命に働き、仕事は再び軌道に乗った。現在は息子と(株)三上工業を営む。最近、孫も左官修行を始めた。「残りの人生は恩返しの時間。若い世代への技の伝承に力を注ぎたい」。自身は「職人として死ぬまで挑戦し続ける。その先に楽しさがあるから」。
○…休日は「酒を飲むか、鏝で花や風景の絵を描いているね」。仲間と語り合い酒を酌み交わすのが何より好きな時間。「1年のうち”368日”は酒を飲むかな」と笑顔。「でもカミさんは絵を描いている方が喜ぶけどね」と頬を赤らめた。
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