箱根を題材にした作品を数多く世に送り出してきた油彩画家・柏木房太郎の生誕110年を記念した個展が、小田原市内のギャラリーNEW新九郎で始まる。会期は11月27日(水)から12月9日(月)まで。
房太郎は1931(昭和6)年から現在まで脈々と受け継がれる西相美術展の創立メンバー。全国的に権威のある公募展「二科展」でも7度入選を果たしたほか、絵画教室を開いて後進の育成にも尽くすなど地域の美術界を牽引してきた。
今回の企画では36点を出品。年代別に展示され、晩年になるほど明るい色使いになる作風の変化も楽しめる。実行委員会は房太郎を「天性の色彩画家」と評し、「何十年経ってもみずみずしい作品を見てほしい」と話す。
とび職から画家へ
房太郎は1909(明治42)年小田原生まれ。小田原第一尋常高等小学校を卒業後にとび職として父・源治郎と同じ道を歩む。だが、21歳で画家の井上三綱に入門したのを機に絵を習い始め、父の反対を押し切り上京。住み込みで働き画家を目指すと実力は開花。公募展で入選を果たし、その新聞記事を目にした源治郎が力を認め、小田原へ連れ戻したという。
故郷へ戻った房太郎は、オルゴール箱の塗装業を営みながら創作活動を継続。箱根をこよなく愛し、生涯に遺した数千点におよぶ作品の半数以上が二子山や早雲山など箱根の山を題材にしたものだ。その一部は、小田原市役所や小田原市民会館にも掲示されている。
好んだデフォルメ
「父は私が絵を描いていれば機嫌が良かった。どんなことよりも、絵が大好きでしたから」
房太郎の影響で幼少から絵を始め、現在は西相美術協会で事務局長を務める息子の隆一さん(70)。中学生の頃、「何か描いてみろ」との要求に応じてキャンバスに自転車を描くと、「全然ダメ」と鼻で笑われたことがある。翌日、その絵の上に重ねて描かれていた鎌倉の円覚寺。屋根の形状は実際より、ずっと丸みをおびていた。
描く素材を大きく捉え、デフォルメするタッチを好んだ房太郎。「絵を描くことは、小手先でやるものではない、見た目の形だけにとらわれるものではない。そんなことを教えたかったのかな」。背景にうっすらと自転車の絵を残したのは、息子への愛情からか。そんな父子の思い出も、今回展示される作品のひとつだ。
観覧無料。同ギャラリーは小田原ダイナシティウエスト4階。12月3日(火)休廊。問い合わせは【電話】0465・20・5664へ。
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