終戦70年を迎える今年、小田原に残る戦争の記憶を、人・もの・場所を介してシリーズで綴る。第27回は旧日本海軍で暗号を解読する任務に就いていた三宅昭孝さん(88)。
「どうせ兵隊にとられるなら、早く行ったほうがいいと思って」。
1944年、小田原商業学校(現・小田原総合ビジネス高校)の3年生だった三宅さんは学校を中退して旧日本海軍に志願。当時、満20歳の男子に義務付けられていた徴兵検査までは3年の猶予が残されていたが、いずれにしても徴兵は免れないと考え、『お国のために』と忠誠を誓い自らの意思で決断した。
まだ17歳。それでも、「家族と離れるのは寂しくなかったし、死も怖くなかった」。一方、少しでも長く生きたいと望んでいたのも事実。「いつか終戦を迎えた時、就職に役立つかもしれない」とモールス信号を扱う通信兵を志したのも、生への強い執着があったからだ。
山口県防府にあった通信学校を卒業後、海軍省の通信隊を経て第801航空隊へ配属され、香川県詫間町へ。通信兵が受信する5桁の数字に置き換えられた海軍用語を、暗号書をもとに解読するのが三宅さんの任務だった。
国内外の基地を転々とする日々。台湾に赴任した際、空襲を受けてわずか1週間の滞在で香川へ引き揚げることに。一刻も早く帰国したいと先に離陸する一番機へ向かったが、三宅さんは上官から二番機へ搭乗するよう命令を受けた。「理由がわからずムッとした」というが、香川に到着すると、一時間も前に飛び立った一番機の姿はそこになかった。「途中で撃墜されていた。一番機に乗った仲間たちは遺骨すら見つからなかった」
派遣先の朝鮮にいた45年8月15日。いつものように解読していた暗号に首をかしげる。「日本が負けたという内容。そんな馬鹿なはずはないと途中で上官へ報告に行くと、驚いた様子で『最後まで解読しろ』と怒鳴られた」。玉音放送が流れたのは、それから間もなくのことだった。
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