終戦70年を迎える今年、小田原に残る戦争の記憶を、人・もの・場所を介してシリーズで綴る。第11回は夫の故・高橋正雄さんが兵隊として満州に赴き、自身も実家の市内井細田で空襲を受けた高橋冨美子さん(91)。
終戦間近の1945年8月。小田原空襲の際、井細田にもアメリカの爆撃機B29から焼夷弾が投下された。高橋さんはその間、押し入れの中で幾重にも重ねた布団に身をひそめてやりすごした。「近所に工場があったからいつかは狙われると皆が思っていたが、実際に爆弾が投下されたら恐怖心しかなかった」
終戦の数年前まで行儀見習いとして都内に働きに出ていた。実家では空襲警報が鳴る度にリヤカーに食糧を積み、頭巾をかぶって防空壕へ。職場でも空襲に備え、バケツリレーをして屋根に水をかける訓練を繰り返し行っていた。「毎日が死にもの狂い。今もつい昨日のことのよう」と、当時の恐怖心は戦後から70年を迎える今もなお、鮮明に脳裏に焼き付いている。
夫の正雄さんは満州へ
終戦の翌年に結婚した夫・正雄さんは満州に10年間、旧大日本帝国陸軍の歩兵隊として出兵した。銃撃戦で耳を撃たれ、負傷したものの無事に帰還。日本に戻る引き揚げ船の中で終戦の知らせを聞いた。「夫の兄弟は男4人全員が満州やスマトラに兵隊に行ったけれど、全員が無事で帰ってきた。これは今でも私たちの誇りです」と当時の様子を思い出しながら声を震わせた。
平和な世の中になり、冨美子さんは「戦争は兵隊だけでなく家族も苦しい思いをする。この先、絶対にあってはならない」と力強く語った。
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