開成町金井島の古民家でこのほど、関東大震災(1923・大正12年)の教訓を伝える数え歌が発見された。表紙に『大震災かぞえぶし』と書かれた帳面=写真には、韻を踏んだ七五調で震災に関する歌詞が二十番まで記されている。
四つ折りの半紙を使い、見開きの冊子として読めるように書かれた数え歌は、表と裏を厚紙で綴じ込み、表紙とそれをめくった中表紙には別人と見られる筆跡で、作者とみられる「山せト」や「大正拾二年」の文字が書かれている。
足柄編集室では、県西部の歴史文学に詳しい「小田原の文学に光と風を送る会」代表の田中美代子さん(90)=小田原市城山=に訳文を依頼。その全容を明らかにした。
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数え歌は「これはみなさん一寸ごめんをこうむりて」と軽快に始まり、「一つとせ広い日本の国々に試し少ない関東の 大地震ばなしをきかしゃんせ」と続く。
地面割れ泥水も
二番以降では、大正12年9月1日の昼に未曾有の大地震が首都圏を襲ったこと(二)、人々が命からがらに逃げ惑い(五)、遠くでは黒煙が上がり、道や野原の地面が割れ泥水が噴き出した様子(六)が生々しく描写されている。
ほかにも「九 怖い怖いで逃げ迷う人は手足に血を流し神も仏もないものか」、「十一 人は食わずに夜をしのぐ家は倒れて人は死す 御上も一時は手もつかず何となるのかこの始末」、「十三 さても哀れや小田原も地震崩れに丸焼けで ゆうも哀れや血の涙」などと惨状を伝え、十四番では藤沢や平塚、大磯、秦野、松田町の地名も出てくる。
「昼と夜との差別なく動き止まずに夜は野宿」とある十七番からは、昼夜を問わず余震が続いたことも読み取ることができる。
大正の人々も
終盤は「十九 国や郡の無役人救助救助で夜も昼も食ハづ休まずを気の毒」、「二十 日本国ちゆう人々の同情情けの寄贈品聞くにつけても有難や」と、寝食を忘れて救助活動にあたる様子や全国各地から支援物資が届いたことなど、大正の人々が震災と立ち向かう様子にも触れている。
数え歌を現代文に訳した田中さんは「誤字や癖字などもあるが、読み書きができ見聞の広い人がつくったと思う。震災に関する庶民の記録が数え歌として残っているのは珍しいのではないか」と話している。
「防災に活かして」
帳面が発見された古民家は、開成町のNPO法人すずろ(畠山光子理事長)が開成町役場の紹介で静岡県熱海市の西海尊志さん(57)から借り受け、文化や情報交流の拠点として活用する「古民家ガーデン紋蔵」=開成町金井島1294、【電話】0465・44・4151。
家主の祖父・紋蔵さん(1899〜1985)の名前をとった「紋蔵」の母屋は、昭和33年に改築された茅葺き屋根で、農機具などをしまう納屋もあり、江戸後期から昭和の暮らしぶりが今に残っている。
家主の西海さんは「存在は知らなかったので驚いている。地震の教訓を伝える資料として地域防災に生かしていただければ祖父も曾祖父も喜ぶと思う」と公開や閲覧にも快諾している。
帳面を発見したNPO職員で管理人の志沢晴彦さん(51)は「東日本大震災もあったので見つけた時には貴重なものだと直感した。全体がわかると一層そう思う。これを機に地域の災害の歴史に関心が集まるよう、紋蔵を訪れる人に紹介したい」と話している。
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「ひとつとせ〜」で始まる数え歌は、数字や言葉、風習なども学べる歌として、主に明治・大正以前の庶民に広く親しまれた。
震災を伝える数え歌は、2012年3月に内閣府(防災担当)が制作した啓発資料『災害を語り継ぐ〜困難を生き抜いた人々の話』で1891年10月28日の濃尾地震(M8・0、死者7200人)を題材にした「震災数え歌」が紹介されているほか、本紙の調べでは、他に例がなかった。
今日1月17日は1995年の阪神淡路大震災から20年目となる日で国が定めた「防災とボランティアの日」でもある。この数え歌を教訓に、災害への備えに対する意識を高め、地元の災害史にも思いを馳せたい。
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