松田町は、澁谷壽光さんへ名誉町民の称号を贈ることを決めた。同町の名誉町民は、1986年の熊澤吉次さん(町長6期)、2008年の永山榮一さん(町への多額の寄付)に次ぐ3人目。松田町に貢献し、広く町民の尊敬を受けられる人に贈られる。
澁谷さんは、松田小学校、県立第二中学校(現小田原高校)、東京高等師範学校を卒業し、県立小田原中学校で教鞭をとった。在職中は、徒歩部(現陸上競技部)の顧問として、多くの長距離ランナーを育てた。東京高等師範学校の先輩である金栗四三氏に請われて箱根駅伝の企画も担当。自ら測量を行って中継地点を決めるなど、大会の実現に尽力した。日本の陸上競技の発展に寄与し、1964年の東京五輪では陸上競技審判員の育成に努め、日本陸上競技会の中心的な役割を担った。
地元松田町では1981年「子どもは、健康が第一である。健康さえあれば、何事もやりとげることができる」との言葉を添えて50万円を寄付した。小学校はそれを基金として『澁谷賞』を設立し、持久走大会で頑張った子どもにメダルや賞状、記録証を授与した。
澁谷さんは1983年に亡くなった(享年88)が、父の遺志を継いだ長男の裕さんが毎年駆け付け、子どもたちにエールを送り続けた。親子2代にわたり尽力した。
本紙タウンニュースでも2019年に「郷土のいだてん」と題した連載を行い、澁谷さんを紹介した。
足柄版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|