平安末期から室町時代に山北を本拠とした河村氏一族と郎党を供養する法要が、9月28日に山北町の河村城址で行われた。秋田や岩手、静岡、三重、大阪などから子孫12人が出席し、元官房長官で自民党代議士の河村建夫氏(71)が初めて参列した。
地元の岸連合自治会が1989年に「河村祭」として始めた法要は、95年から河村城址保存会(清水正己会長)に引き継がれ、名称も「河村城まつり」に改称された。過去には無形文化財の川村囃子や琴の演奏、詩吟やコーラスなどを取り入れ、昨年からは「のろし上げ」による歴史絵巻の再現が始まり、南足柄の甲冑隊や洒水太鼓、芋煮汁の振る舞いなど工夫を凝らしてきた。
河村氏一族の菩提寺、般若院の武内卓伸住職(57)=山北町岸=は「全国のご子孫や地域の方々が集うということは、今も河村氏が親しまれているということ。さぞお喜びだと思います」と、手を合わせた。
党派を超えて交流する河村たかし名古屋市長から「河村城まつり」について聞き、この日初めて参列した河村建夫元官房長官は「念願の出席がかなって嬉しい。大勢の皆様が先祖を祭っていることに感激した。史跡の保全や、歴史、文化、伝統を大事にすることは教育的にも意義がある。城址をさらに整備して町おこしにつなげて頂きたい。(自民党内で)地方創生の役割を頂いているので、山北町の振興にも協力させて頂きたい」と来年の出席にも意欲をみせた。
河村城址は足柄平野の北端、標高225mの城山山麓にある。89年から95年まで城跡調査が行われ、小田原北条氏の城郭遺構などが確認された。96年には県内にある山城では初の県指定史跡となり、歴史公園としての整備が続く。1931年に山頂部に建立された高さ3・5mの石碑の題字には徳富蘇峰(菅原正敬)による揮(き)ごうで「河村城址碑」と刻まれている。河村城址をめぐっては、昭和初期の山北町と共和「河村城論争」が巻き起こるなど今なお諸説あるが、政府が進める”地方創生”の施策にも活用できる地域資源としての価値も高まりそうだ。 (つづく)
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