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郷土の”いだてん” 第1回 金栗四三と渋谷寿光先生

公開:2019年4月20日

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東京高等師範学校徒歩部。前列左から2人目が金栗四三、5人目は嘉納治五郎校長、6人目が監督の可児徳、後列右から3人目が渋谷先生
東京高等師範学校徒歩部。前列左から2人目が金栗四三、5人目は嘉納治五郎校長、6人目が監督の可児徳、後列右から3人目が渋谷先生

 渋谷寿光先生は明治27年(1894)に松田町で生まれ、県立第二中学校(現県立小田原高校)に学び、東京高等師範学校(現筑波大学)へ進学した。その徒歩部(現陸上競技部)ではストックホルム五輪に初参加した金栗四三が後輩たちを熱心に指導していた。渋谷先生は金栗とマラソンの練習に励み、さまざまな大会に入賞した。

 大正7年(1918)に卒業後、物理化学の教諭として県立小田原中学校(現県立小田原高校)に赴任。在学されていた閑院宮春仁王殿下に化学をお教えするとともに、徒歩部で後に参議院議長となる河野謙三たちを熱心に指導し、横浜貿易新報社(現神奈川新聞社)主催の県下中学校駅伝競走で優勝した。大正8年に金栗が世界に通用するランナーを育てるために駅伝レースを提唱すると、渋谷先生はその企画の実務を担当した。東京から箱根まで一人で歩いて距離を測り、中継点を決め、コースを設計。大正9年の箱根駅伝第1回大会は夜箱根を走るので、小田原中学校徒歩部の部員たちを松明を持って配置してコースを照らしたり、選手の伴走をさせたりした。

 以後、日本陸上競技連盟の常務理事を務めながら、ロサンゼルス五輪の日本選手団役員、ベルリン五輪の陸上競技総監督、戦後は箱根駅伝の審判長、東京五輪の審判団団長を無償で務めた。昭和58年(1983)に88歳で亡くなるまで、わが国陸上競技の審判技術と大会運営の発展に尽くした。

渋谷先生と東京オリンピックのポスター
渋谷先生と東京オリンピックのポスター

郷土のいだてん 第1回

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