1889(明治22)年2月に東海道線の国府津-静岡間が開通し松田駅が開業した。足柄上郡で最初の鉄道駅舎が、地域交通の発展に大きな影響を与えた。
郷土史の研究家団体、足柄史談会(武井延禎会長)
が、今年11月5日と6日に南足柄市文化会館で開催される平成28年度市民文化祭で『我が郷土の交通網100年の歴史をたどる〜道了尊参拝客を中心とする道路・交通網の歴史』と題した展示を企画している。
史談会が開いた9月16日の会合に参加すると、武井会長ら役員6人が顔を揃え「調査を始めたばかりだが次々と新しい発見が出てくる。明治の人たちの熱意や、夢のような構想が手に取るようにわかってきた」と企画の一端を説明した。
発表で重きを置くひとつに怒田丘陵を崩して道を通した「切り通し」がある。 県道74号線、足柄台中学校の眼下を通る道は鉄道敷設で開業した松田駅から、曹洞宗の古刹、大雄山最乗寺を結ぶ新たな幹線道路として地域の有力者らが私財を投じて整備した道路だった。計画の当初、県が一部の用地を買収したがその後は財政難で工事が進まず、業を煮やした有力者らが自ら開通させ県道にした。
それまでの街道筋は小田原から北上する甲州道、東から横断する矢倉沢往還が怒田丘陵南端の福田寺で交差。甲州街道や中山道へと伸びた。旧東海道線の開通に乗じて地域の人々は酒匂川に十文字橋を架け、最乗寺までの約7キロの道のりに人力車や馬車を走らせ、1921年(大正10)年にはハイヤーの運行を始めた。
【つづく】
※「切り通し工事」に関する資料を調査中。心当たりのある方は武井会長【携帯電話】080・1304・9500へ。
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