河野淳吾選手(湯河原町在住) 試練のバンク這い上がる
元Jリーガー、競輪へ
サッカーから競輪の世界に転身した河野淳吾選手(湯河原町在住・30歳)が、全国を転戦して地道に結果を重ねている。今年は競輪の若手登竜門でもある「A級」選手として72レースに出走、2月の向日町競輪(京都)を皮切りに通算11回1着を獲得した。
吉浜小学校時代に地元スポーツ少年団でサッカーに目覚め、静岡の東海大一中、清水商業高校に進学。その後Jリーグ入りしサンフレッチェ広島や横浜FCなどで活躍した。しかし2007年、試合中に脛(すね)部分を開放骨折。長いリハビリを余儀なくされ、満足なプレーができなくなった。
「ターニングポイント」と河野選手は引退の日を振り返る。すでに競輪選手としての道を見出していた。現役ベテラン選手の高木隆弘氏に師事し、居候しながら猛練習を開始。2009年に難関の競輪学校に入り、2011年1月にデビューを迎えた。初舞台はバンク角度の傾斜が大きい小田原競輪場。地元湯河原やJリーグ時代の仲間たちが見守る中周回を始めたが、時速60キロを超えたあたりで落車(転倒)、地面に叩きつけられた。昨シーズンはレース中の落車が目立ち、伸び悩んだ。競輪の世界には約3千人の選手が所属しており、SS・SI〜SII・AI〜AIIIに分かれている。デビュー間もない河野選手の所属はまだ選手ピラミッドの中でも一番下のAIII班で、一定期間で成績が残せなければ選手名簿から自動的に抹消されてしまう。「目標は来季1年でS級に上がる事。自在に動いて様々なレースを展開したい」。今シーズンは12月7日から宇都宮競輪に、29日からは第13回松戸七福神杯にも出場する予定だ。
夜明け前の真っ暗な道を、湯河原から大観山までの真っ暗な道を何度も登って特訓する。ウェイトトレーニングの成果もあってJリーグ時代に比べ体重は17キロ増え、胴体を載せる両脚は腫れあがったように太い。周囲からは「辛さを引きずらない男」と定評がある。取材中も選手仲間から声が飛ぶ。「英雄になれよ!湯河原の」。はにかむように笑窪を作った。
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