足柄下郡3町唯一の助産院で院長を務めていた 守屋 セイさん 湯河原町門川在住 91歳
ずっと柔らかい両手
○…数年前まで湯河原で助産師をしていた。取り上げた赤ちゃんの数は5千は下らない。新成人の中にも人生の初日にお世話になった人がいるはずだ。本紙記者に向かって「あなた、あたしが生ませたんじゃないよね」とにんまり。現役は引退したが「いい仕事をしてきたつもり。昔はお母さんたちから沢山手紙が来たんだ」と目を細くした。ベテランの両手を見せてもらうと、実に柔らかい。
○…自宅併設の助産院には今も当時の名残がある。赤い家具や、赤いじゅうたん、ご本人も赤い服が好き。「赤が縁起物だから。無事に生まれるようにね」。この部屋で、同時に複数の妊婦さんが産気づく事もあった。「お腹を見れば何時に出てくるか分かる。大変な時は笑わせて元気付けた。生まれるとみんな転がって喜んでた」。壁には県知事や各種団体からの表彰状が残っていた。平成12年に厚生労働大臣表彰を受けたが、昔の功績はあまり興味がないらしい。
○…雪深い秋田県の二ツ井(能代)に生まれ、父は近衛兵で東京で働いていたという。故郷が無医村だったため医療の道を志し、看護婦や助産婦の資格を取って上京した。「父のようにイラく(偉く)ならなきゃ、女でも何だってできると思ってね」。当時は運転免許を取る女性も珍しかった。車を乗りこなし、隣の箱根や横浜、海を越えて初島に出張したことも。
○…家庭では姉さん女房だったが、夫の賢一さんは昨年他界した。「夢で会うよ」とぽつり。三味線や日舞、民謡に習字など、様々な分野で表彰状を貰ったのも、ぜんぶ過ぎたこと。今ではデイサービスで入る温泉が楽しみだ。掲載用に撮影させてもらうと「美人を撮ってどうするの」。10年前にも一度取材をした事があるが、メガネの形は変わらずだった。
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