湯河原みかんグルメ&スイーツサミットV2の「オレンジメンチ」を考案した 後藤和彦さん 湯河原町土肥在住 50歳
オレンジ色の開拓者
○…ミカンを使ったグルメコンテストで2度目のグランプリを獲った「オレンジメンチ」の生みの親。精肉店の社長を務める。3年前、メンチ作りにママレードを加えることを思いつき、試行錯誤を重ね、行列を呼ぶ逸品に仕上げた。今もメンチのアンをこねる時は「おいしくなーれ」と心に唱える。最近は厚木や静岡のグルメイベントにも遠征するようになり、全国区への道のりの長さを実感した。「これまでの歩みは全部、仲間と家族のおかげです」。自分の発言をかみ締めるよう。
○…少年時代は創業者である父の義成さんを手伝った。車の助手席に座って箱根や湯河原の旅館への配達に行くと、シェフが「食べてみな」と料理を試食させてくれた。自分たちが配達した食材が夢のような味に生まれ変わっていた事が忘れられない。湯河原中、日大三島高を経て日大へ。その後実家に就職した。父が発案したステーキハウスの立ち上げを任され、憧れだった調理師の資格も取った。38歳の時に父の急逝で会社を継いだ時は、父が築いた人脈に助けられたという。今は商工会理事を務め、地元経済界の幹のような存在だ。
○…毎朝、夜明け前から子どもたちの弁当を作り始める。おもむろにスマホ画像を探ると野菜で彩った可愛らしい弁当がずらり。運動会や授業参観などに行けない分、愛情をぎっしり詰め込む。グランプリ受賞の思い出がしみこんだオレンジ色のジャケットがお気に入り。これは「スーパージャイアンツファン」(自称)の証でもある。大学時代は東京水道橋のキャンパスに通いつつ東京ドームにも通っていた。毎年2月になると宮崎に飛びキャンプを追っかける。職場の高いところに鎮座しているのは、原監督のサイン。この人にはオレンジ色の血が流れている。
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