被災地ボランティアとして東北に通う 梅原 雄蔵さん 湯河原町土肥在住 71歳
「好きな事してるだけ」
○…東北へボランティアに通い、石巻のヒマワリの種を苗にして毎年1000鉢ほどを湯河原で配っている。会場には撮りためた被災地の写真も展示。地元も災害と無縁ではないからこそ口ぐせのように「忘れないで」と言ってきた。活動は地元紙で何度も取り上げられたが、本音は目立ちたくないらしい。「被災地支援は、黙ってこっそりやるべきだと思っていましたから」。思い悩んでいると、仲間が肩をたたいて「行きたくても行けない人がいる、堂々とやって」。その言葉で何かが吹っ切れ、積極的に広報するようになった。
○…少年時代の湯河原は見渡す限りの田んぼで、川ではウナギも捕まえた。休日の定番は父・五雄さんに手を引かれて、伊豆や横浜の史跡めぐり。そんな幼少期の影響か、相洋高校時代は東北を徒歩で巡り、行く先々で宿や食事を助けてもらった。8年前に思い出の地が津波に襲われ、いても立ってもいられず現地へ。車が何台も水に浮かぶ、凄惨な光景に打ちのめされ、支援活動中も住民に話しかけられなかった。今も東北に通い続ける理由は「人手不足だから」「好きな事をしてるだけ」と頭をかく。新居に移った人や、少しずつ笑顔を取り戻す人。ごく単純に、会いたい人がいる。
○…専修大卒業後は共済農業協同組合連合会に就職し、保養施設の支配人からテレビ番組の企画、保険の示談など様々な仕事を経験した。職場結婚した奥さんが作るサラダが今も大好物。酒はほとんど飲まない。退職した今では孫と遊ぶのが趣味になった。ナイフで鉛筆を削ったりマッチを擦って見せたり、野山を歩いて立小便。現代っ子が知らない事をこっそり教え込む理由は、災害時に役立つから。「忘れないで」は何よりも自分自身に向けられている。
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