現在のパークウェイ料金所付近〜鞍掛山結ぶ
「箱根や伊豆を眺望でき関東一帯の景観をほしいままにできます」――箱根随一の富士眺望などをキャッチフレーズにした湯河原ロープウェーが開通して今年で50年になる。現在のパークウェイ料金所付近と鞍掛山(標高1004m)との間をゴンドラが行き交ったが、夢の空中散歩はわずか8年間でその幕を閉じた。写真や書籍もなく、その存在を知る人は少ない。
町長がテープカット
湯河原ロープウェーは伊豆箱根鉄道(株)によって建設され、昭和41年に開通。湯河原峠駅とくらかけ山頂駅を5分間で結び、料金は往復おとな180円だった。当時は箱根ロープウェイ(昭和34年)、駒ケ岳ロープウェー(昭和38年)に次ぐ3番目の箱根地域のロープウェイとして注目を集め、町内も紅白幕や日の丸がはためく祝賀ムードに包まれた。開通式では湯河原小学校の鼓笛隊が演奏するなか八亀町長がテープカット。「東にターンパイク、西に富士箱根ランド、このロープウェーを中心に湯河原の渓谷がすっかり開け、否が応でも温泉場が栄えていく」と賛辞も贈った。その後は観光会館でレセプションも開かれている。
山頂駅には飲食店があったほか、野猿がよく出没し、パークウェイ近くに「モンキーランド」と呼ばれる施設もあったらしい。「駅長が1人と助役が2人いて、私たち整備係は鞍掛山頂に泊まり込みで働いていました。湯河原方面の夜景や満天の星は本当に美しかった」。そう語るのは元伊豆箱根の職員・笹川延尾さん(78・箱根在住)。旧城東高の機械科を卒業後に、同社の遊覧船や駒ケ岳ロープウェーで働いていたが「湯河原」の開通にあたり異動、それから廃止までの数年間、ゴンドラなどの整備を担当した。笹川さんなど元関係者よると、廃止になった理由は乗客数の低迷だった。風が吹くとゴンドラは揺れやすく、近くの十国ケーブルカー(西武系)の方が人気だったという。「西武の創業者だった堤康次郎氏には山頂からさらに芦ノ湖近くまで延伸する構想があったそうです」。当時は駒ケ岳や箱根園にスケート場もあり貸切バスが続々到来する賑わいがあった。パンフレットには遊覧船やケーブルカー、有料道路などをつないだ”西武版”ゴールデンコースが紹介され、湯河原〜もその一部だった事が分かる=右図。堤氏は運行開始の数年前に世を去っているが、すでにルートの複線化や増強を睨んでいたのかもしれない。しかしこの延伸は国道1号線(箱根新道)を跨ぐ必要などがあり形にはならなかった。その後ロープウェーは休止を経て昭和52年1月に廃止。施設はすべて撤去され山頂駅だった場所付近には電波塔が建っている。