豆等の農作物の選別や運搬に使う竹箕(たけみ)、収穫した里芋などの土を振るうためのみかご、山の中での作業に使う背負い籠…。昔、秦野市内の農家でも自作されていたという竹細工。新井元栄(もとえ)さん(76・菩提)は、市内で希少な竹籠職人として、農業用の籠や小物などの竹細工を作り続けている。
新井さんは故郷の群馬県で20代の頃に竹工作の講習に通い、技法を学んだ。その後、伊勢原や秦野で公立学校の公務整備員として勤務しながら、休日は近所の人に頼まれ、様々な籠を作ってきた。勤務先の運動会で使う大ダルマや、北地区の夏祭りで炊き上げる全長8mの竜を編み上げたこともある。
市内には竹製品の製造販売をしている店もあるが、市森林づくり課の職員は「籠職人は珍しい」と話す。新井さんの知人で、秦野の文化を後世に伝える活動をしている秦野歴史おこしの会の杉崎正二さん(74・菩提)は、「昭和30年頃、菩提には友人の祖父が営む籠屋があったが、近年では新井さんのほかには聞かない」と話す。
材料となる竹は、同じ集落で竹林を保有する人から譲り受け、お礼に作った籠を渡す。長さ5m以上の竹を、新井さんは長なたで縦方向に割いていく。「節があるところは左右に削げやすくて、まっすぐきれいに割けるようになるまでには練習が必要なんですよ」。
乾くと折れやすくなるため、割いたあとは日を空けずに編む作業に入る。新井さんは自宅の庭で籠作りに精を出しながら「無心で編んでいるときがとても楽しい。風邪気味のときでも籠を編めば治っちゃう」と笑う。妻のフミ子さん(74)は「炎天下の中でも気にせずに熱中してしまうから、心配」と言いながら、夫の首に冷やしたタオルをかけてあげるという。
「手作りしたざる籠は丈夫で、ずっと使っていてもちっとも壊れないのよ」とフミ子さん。40年前に新井さんが作ったざる籠を、今も切干し大根を干すときなどに使い続けているという。長い年月を経て、日に焼けて色は変わっているが、その美しい形状は新品と並べても遜色ない。
現在では安価な輸入品やプラスチック製品などの普及により、竹の道具を自分で作る人が減った。そのため、市内の竹藪では荒廃が進んでいるという。「できることがあれば協力したい」と新井さん。市では「竹細工の作り方を広めることは、竹林の有効活用や整備にもつながる」と、新井さんの技術を市内の人に広めるため、講習会を10月頃に開く予定だという。
秦野版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<PR>