江戸時代に新造された須賀神社(秦野市羽根714)の神輿が大改修され、当時の姿を取り戻した。3月4日に神社に戻り、4月7日(土)に行われる例祭で初披露される。
須賀神社の神輿は「明王太郎」と呼ばれる大工一門が手掛けたもので、明王太郎神輿と呼ばれる中では、上秦野神社に続いて市内で2番目に古いものとなる。
歴史を紐解くと、1800年(寛政12年)に羽根村で牛頭天王(ごずてんのう)社の神輿を造る話が持ち上がり、大山の大工・明王太郎信景に依頼したとされる。現存する棟札と証文によると、金30両のほか4本の木材を提供し、1801年(享和元年)に神輿が完成した際には氏子衆が大勢して大山まで受け取りに行き、神輿を担いで帰ったという。
45年後の1846年(弘化3年)に1度目の大修理が行われた。1873年(明治6年)には、羽根村にあった海の神を祀る住吉明神社が牛頭天王社を合祀し、現在の須賀神社となったという。須賀神社では住吉神社の祭神である大渡津見之命(おおわたつみのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)の2柱を祀っている。
1920年(大正9年)に2度目の大修理が行われ、関東大震災の災禍に遭いながらも、神輿は受け継がれてきた。一時期は戦争で若者が減り担がれない時期もあったが、戦後の神輿ブームと共に祭礼に担がれるようになったという。
寄付金を募り3度目の大改修へ
神輿を担ぐために1980年(昭和55年)、仮修理を行ったものの、それからは修理を行っていなかった。老朽化も進んでいることから「由緒ある神輿を後世に伝えよう」と2016年に実行委員会を立ち上げるとともに氏子衆を中心に寄付金を募ってきた。その寄付金をもとに昨年4月、「茅ヶ崎神輿康」に修理を依頼。1年かけて修繕を行ってきた。その際、当時の姿を残そうと使える部分はできる限り使用したほか、分解の折に以前の塗りが残っている部分からわかった新造当初の色も再現していった。
氏子総代の役員として関わってきた古谷光一さんと大津智司さん、古谷稔さんは「今まで見えなかった彫刻のヤマタノオロチの8つ目の顔も見つかったり、屋根の色も黒ではなかったり、今回の大修理でいろんなことがわかった」と話す。
須賀神社の神輿には、祭神である須佐之男命と大渡津見之命の姿が彫刻してあり、日本の神話をモチーフとした場面が選ばれている。須佐之男命がヤマタノオロチを退治しようとしている情景のほか、海の神である大渡津見之命と琴を手にした息女の豊玉比売(とよたまひめ)の姿などがあり、明王太郎神輿の中でも神社の祭神や神話をもとにした彫刻を持つ神輿は他になく大きな特色となっているそうだ。
「由緒ある神輿を多くの人に」
3月4日、須賀神社に戻ってきた神輿を氏子衆らが迎えた。屋根と土台の部分は濃い褐色で、丁寧に貼り直された金箔が輝き、当時の姿を取り戻している。
神社の境内は季節になると冬鳥のヒレンジャク観察で人が訪れるほか、ケヤキをタブノキが抱えているようなご神木もある。4月の例祭に向けて境内の整備も積極的に行っており「新造当時の姿を取り戻した由緒ある神輿を多くの人に見てもらいたい」と話す。
4月7日の例祭では昼頃から神輿の町内一周が行われ、一般にお披露目される。
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