弘法山では4月に入り桜が満開を迎え、色とりどりの提灯が桜まつりの日に向けて夜桜を照らしている。
弘法山桜まつりが始まったのは1984年。鶴巻の旅館、果樹園や農家、乗馬クラブ、酒造会社などが結成した弘法山周辺観光開発推進協議会(当時/紫藤邦子会長)が中心となって、源平綱引き合戦、早食い・早酒大会、鶴巻温泉の芸者衆による踊りの披露などが企画された。第2回では東海大学の学生らによるビッグバンドのミュージックフェスティバルや、桜祭りのために新たな音頭(弘法山音頭)が披露された。また、第3回では弘法山音頭をディスコ調に編曲してディスコ大会が開催され、その後も回を重ねるごとに恒例行事として定着していった。
それまでも毎年桜祭りで御開帳が行われていた大師堂では1995年に、地元の人たちが協力して資金を集め弘法大師像を修復し桜まつりで”お披露目”した。
その後、実行委員会の主体が秦野商工会議所へと移り、2005年には第1会場が中央運動公園(現カルチャパーク)に移行し名称は「秦野桜まつり」に。さらに2017年には実行委員会が祭りの中止を決め、ひと区切りを迎えた。一方、秦野市は市内の桜を広くPRするため新たに「はだの桜まつり」を始めた。今年も4月7日(土)・8日(日)に開催される。
紫藤さんは「30年以上桜祭りをしたおかげで鶴巻温泉に人が来るようになった。祭りの名前が変わり、主催者が変わっても、募金を集めてくれた人、日ごろから掃除をしてくれるボランティアの人たちの功労を忘れないでほしい」と話している。
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