実朝が鎌倉で殺害されてから来年の一月二十七日で800年が経ちます。
実朝の御首塚は田原ふるさと公園の近くにあります。実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で第三代征夷大将軍です。
一二一九年に実朝は鶴岡八幡宮での参拝の帰りに甥の公暁に殺害されました。28歳でした。その後、実朝の首を持った公暁は追っ手の三浦義村の家来に殺害され、首は当時この地を治めていた波多野忠綱に義村の家来の武常晴らが渡し、手厚く葬られたと伝えられています。
実朝の体はどこへ
御首塚は東地区にあるので、首が秦野にあることは分かっていますが、「体」は一体どこにあるのでしょうか。そんな疑問を抱きました。
そこで、私たちは実朝の体がどこに埋葬されているのか、探すことにしました。
実朝が殺害されたのが、鎌倉の鶴岡八幡宮という事から、体はそう遠くには運べないのではと考え、鎌倉を調べると「寿福寺」というお寺に当たりました。
寿福寺とは
「寿福寺」は、一一九九年に頼朝が亡くなると、翌年の一二〇〇年に妻の北条政子が夫の菩提を弔うため、明庵栄西を招いて、源義朝ゆかりの土地に建立されました。義朝は頼朝の父で、この場所に居館がありました。
実朝の墓
実朝の墓は寺の裏山の「やぐら」にありました。「やぐら」とは、鎌倉で墓地などとして用いられた人工の洞窟です。そのやぐらは墓地の隅にあり、見つけるのが大変でした。やぐらの中には秦野の御首塚と同じ五輪塔がありました。
隣には母である北条政子の墓もありました。
実朝の木像
実朝の姿を東田原の金剛寺の木像でも見ることができます。
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