秦野市の一大イベントとして市民に親しまれている「秦野たばこ祭」。タバコ農家の慰労のため、1948年(昭和23年)に開催されたのが始まりだ。タバコ耕作は労力がかかり、家族総出で作業しなければならなかったという。葉タバコ農家で育った横溝彰さん(72・今泉台)に、当時の話を聞いた。
「私の生まれ育った南地区は同級生の多くが農家で、大半の家で葉タバコを栽培していた」と横溝さん。横溝さん宅でも葉タバコ(秦野葉)と麦、落花生を育てていた。小学生の頃から4歳年上の兄と一緒に仕事を手伝うのが当たり前の日常だった。
葉タバコづくりは正月三が日を過ぎると始まる。山に行って落ち葉をかき集めて牛車にのせ、苗床に葉を敷き詰めてたい肥を作り、種まきをした。「4月になると苗を麦畑に移植してね。遅霜のニュースをラジオで聞くと、夜中でも家族で畑に向かい、苗の上に新聞紙をかけて霜害を防いでいた」とかつてを思い出して話す。
父の昼食は縁側が定位置
夏になると自分の背丈より高く育った本体から葉を収穫、縄に1枚ずつ葉を編み込み、外につるして乾燥させた。作業を終えると手はヤニで真っ黒になった。この時期、父親の昼食は縁側が定位置。空を眺めながら食事をしていた。「雲の動きをみて、空模様が怪しくなると『飯をやめろ!』と叫んだ。家族全員で庭に干した葉タバコを納屋にしまった」と笑う。
まんじゅうは想い出の味
こうした葉タバコの乾燥作業が一段落する9月下旬に行われたのが「秦野たばこ祭」。母親は祭りに向け、婦人会で秦野煙草音頭の踊りを練習した。「花火を家族で畑から観た記憶がある。楽しみの1つだったかもしれない」と懐かしむ。
乾燥後は葉の選別をして伸ばして束ねた。「うちは朝からノルマがあって。これが終わらないと学校に行かせてもらえなかった」。
仕上げた葉タバコは、年の暮れと1月に父親が牛車で専売所(現イオン秦野SC(ショッピングセンター))へ納めた。葉タバコの等級が良かったときは、父親が上機嫌で本町四ツ角の和菓子屋でまんじゅうを買ってきてくれたのが思い出だ。
大変な仕事だが勉強になった
父は小学5年生のときに他界。兄弟で母を手伝い、葉タバコ耕作を続けた。近所の指導員に相談しながら栽培していたが1963年(昭和38年)、兄の就職を機に葉タバコの栽培をやめた。
「葉タバコづくりは大変な仕事だったが、自然との向き合い方や地域での助け合いが勉強になった」と横溝さん。「この経験は、その後の人生に大いに役立ったと思う」と振り返った。
資料で振り返るたばこ祭
市は新型コロナによる秦野たばこ祭の中止を受け、メモリアル事業として11月に本町公民館でたばこ資料展「秦野たばこ祭のあゆみ」を実施する。秦野市所蔵の写真やポスター、記念品などを展示する。
期間は11月14日(土)から23日(月)で、午前9時から午後5時。問い合わせは市生涯学習課【電話】0463・87・9581。
■取材協力/秦野市、秦野歴史おこしの会
■写真提供/秦野市、佐藤公子さん
秦野版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>