NHK大河ドラマ「青天を衝け」主人公 渋沢栄一が遺したもの 連載寄稿 第7回「ビバ渋沢栄一!」 エッセイスト・加藤正孝(鶴巻)
Kもう少し渋沢の平和主義を続けます。彼は明治35年(63歳)〜大正10年(81歳)の約20年、平和への思いを込めて欧米各国へ行って交流をはかっています。
Yええ、特にアメリカへ渡米実業団(団長)の時も含め4度行っています。当時は日本人の米国への移民が非常に増えて米国内の排日姿勢が強まっていて、渋沢は政財界人や学者、宗教家等の人達と会い関係改善に尽力する。
Kそうなんです。エジソンや大統領とも会っています。4回目ではワシントンの軍縮会議にも出て、オブザーバーとして参加し、日本の軍縮にも貢献したようです。
Y又、交流というか人道支援で色々な国の災害や難民に有志で義捐金を送っている。話は違いますがアメリカもその頃日本との平和を祈って人形を1万体以上日本の学校に贈っていて窓口になった渋沢もアメリカへ160体くらいの人形を贈っています。
K人形を通しての両国の交流!
Y最近新聞に載っていましたが、どこかの小学校にその青い目の人形が213体残っていて平和学習の一環にその話をしていると書いてありました。
Kとに角渋沢の色々な形での民間外交が認められてノーベル賞候補に2度なっているけれど残念ながら受賞には至らなかった...。
Y平和主義で思い出しましたが彼はこんないい方もしている。相手に非があるから自分達は自衛のために武力行使をする、つまり自分達を正当化して責任を(相手に)転嫁することこそ平和が失われる原因にもなると。
Kそれぞれ言い分があるだろうが、いずれにしろ紛争を解決する手段としての戦争を彼は否定していて、現在でも参考になると思う。(この連載は今回で終わります。拝読感謝致します)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<PR>