創業から55年、秦野高校の生徒の心と胃袋を掴み続けてきたパン屋「ふれんど相原」(秦野市南矢名936の3)が3月31日に閉店する。地元にも多くのファンを持つ同店の歴史や思いを、店主の相原育子さん(85)に聞いた。
同店は元々あった文具店を居抜きし、1966年にパンや文具などを扱う「相原商店」として夫の孝也さんと開いた。10年後の建て替えでヤマザキのYショップにしたのを機に店名も変更。「仕事一筋パン一筋」の孝也さんの強い思いで、パン1本の今の形になった。
同店が販売するのは、コッペパンに具材を挟んだもの。パンは高校生がお腹いっぱいになるよう孝也さんがこだわったレシピを、ヤマザキで焼いている。
かつては2階を食堂として使いラーメンなども提供していたが、自家製のコロッケやメンチを作るようになり手が回らなくなったため食事スペースは閉鎖。最後までしっかり楽しめるようパンに合わせ形成したコロッケパンとメンチカツパンは同店の名物となった。
主人の味受け継ぎ
秦高と大根中に卸し一般販売と合わせ多い時は日に500本以上販売していたが、孝也さんががんを患い一線を退くことに。一時娘が手伝い、その後すぐに息子の嫁である相原里美さん(54)が厨房を引き継いだ。1994年の孝也さん死去後、里美さんが味を守り育子さんと二人三脚で切り盛りしてきた。
夫婦2人で作った店。片方に何かあったらたためる準備はしていたが、中栄信用金庫からの後押しで継続することを決める。「中栄には秦高卒業生も多く助けられた」と育子さん。また、「タネを仕入れるなら店をたため」という孝也さんの言葉もあった。「そのこだわりのメンチやコロッケも、義父より私の方が長く作ってます。おじさんのコロッケは、もうおばさんのコロッケなんです」と里美さんは笑う。
尽きない思い出
これだけ長く学生を見守っていると、思い出話も尽きない。2階でタバコを吸っていた生徒が先生に見つかり大捕り物になった話。その生徒が塾の講師になった話。子どもが生まれたと報告に来る卒業生。足を悪くしたあと商品補充を手伝ってくれた生徒。卒業後も訪れる人は多く、顔と名前を覚えるのが得意で部活を聞けば今でも思い出せるという育子さんは「本当はやめたくない」と本音をもらす。
秦高卒業生で同校現役教諭の水上慶太さんも「お昼だけでなく、部活帰りも寄って仲間と会話する思い出の場所だった。閉店すると聞いてとても残念です」と話す。
時代の変化、学生の流れの変化などで徐々に販売数は減少し、自分の年齢も考え閉店を決めた育子さん。「生徒に元気をもらいとても楽しませてもらいました。感謝しかありません。ひ孫もいるし、元気なうちにその子たちとの時間を作りたい」と優しく微笑んだ。
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