秦野市西田原に住む片野善広さん(66)の家の畑から、4千〜5千年前の縄文時代のものと推測される鏃が2つ見つかった。今月5日に、はだの歴史博物館へ鑑定に行き、年代が発覚。大規模工事の発掘調査などで縄文時代の遺跡が発掘されることはあるものの、民家から見つかるのは珍しいという。
鏃とは矢の先端に付け、突き刺すための利器のこと。片野さんは2019年1月に自宅裏の畑で耕運管理機を使い畑を耕していたところ、青く光る何かを発見。「瓶の欠片かプラスチックかなと拾ったら、きれいな三角形だったので、もしやと思った」と、すぐに水道水で土を洗い流すと、光がきれいに透ける大きな黒曜石の鏃が姿を現した。
さらに翌年5月には、大きな鏃が見つかった畑とは別の畑の草むしりをしていたところ、小さな黒曜石の鏃を発見。「1つ目が出た時は鏃が刺さった獣がここで息絶えたのかと思ったが、2つ出たから偶然で見つかったのではない」と驚き興奮したと片野さん。
歴史好きの片野さんは鏃とは分かったものの、知人に話した程度でしばらくは自宅で保管していた。「でもやっぱり気になって、歴史に詳しい知人に見てもらったところ、はだの歴史博物館で見てもらった方が良いと勧められて持っていくことにしたんです」と振り返る。「古いものだと分かりびっくりしました。見つけた鏃の価値が分かりほっとした」と笑顔を浮かべた。
土地の歴史語る重要な遺物
はだの歴史博物館では「近隣の東小学校からも縄文時代中期から後期頃の遺跡が発見されており、同じ時期のものと考えられます。鏃に使用された石も天然ガラスの黒曜石で、これは縄文時代中期頃に使用された石です」と話す。石は意図的に割られて形作られているため、人工的な石鏃と推測されるという。
また鏃の用途としては、片野さん宅の裏には丹沢の山があるため、大きな鏃は鹿や猪、鴨に対して狩猟具として使用したのではと分析。小さな鏃については、当時の縄文人が毒に関しての知識を持っていたため、鏃に毒を塗り何度も撃って獲物を追跡したのではないかと考えられるという。
同館では「日当たりの良い高台から見つかり、秦野は縄文時代から人が住みやすいまちだったと思われます。縄文時代の遺物は土に深く埋まっていて民家で発見というのは珍しい。この鏃は、その土地の歴史を語る重要なもの」と話した。
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