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戸塚区上柏尾町にある浄土真宗「光照寺」をご存知だろうか。
住職・宮本龍太さんは、およそ30年前まで企業の一員として働いていた、いわゆる在家出身。これまでの波乱の人生経験から宮本住職は「僧侶と気軽に話し、心の休息となるお寺」を掲げて、2023年6月に戸塚区上柏尾町に光照寺を開いた。
宮本住職がなぜ仏道を歩むことになったのか、お寺を開いた理由とは、そして今を生きる我々に仏教が示してくれる道とは――。
波乱万丈の人生「転ぶなら、前へ」
宮本住職が「波乱万丈だった」と振り返る人生は、大学卒業後に、脱サラして友人と立ち上げた事業の失敗から始まる。「どうせ転ぶなら、前に転ぼう」とさらに借金を背負い、一から再スタートした葬儀関連の事業が、今度は大成功を収めた。
会社を大きくした後、自らは新たな道を進む。葬儀業界の知識を生かして開発した新商品が当たり、わずか2年ほどで財を成した。「毎日本当に忙しかった」と当時を笑顔で懐かしむ。
しかし間もなく、社会情勢の影響で会社の利益は1年ごとに半分ずつになった。会社は長く保たないと判断した宮本さんが思い至ったのは、「お坊さんになろう」。仕事で毎日見ていたから、という単純な理由だった。
「自分の余生は、人の心に向き合うために」
岐阜県にある光明寺で修業を始めた宮本さんは次第に、浄土真宗の教えにのめり込んでいく。「人の煩悩を肯定し、苦しみや悩みへの対処も数多く説かれている。たくさんの人が救われるのでは」と心が動いた。
修行を終え、千を超える書籍にも学び、宗祖・親鸞聖人の教義理解を徹底した。「お金のための人生はもう終わり。あとは人々の心に向き合うために、自分の人生を使いたい」と自宅の一室に構えた本堂から約20年間、教えを説き続けてきた。
その強い思いから長年、悩める人に寄り添うために自死対策にも取り組んでいる。人の心に向き合おうと、日本メンタル協会認定メンタルスペシャリスト、JADP認定心理カウンセラーの2つの資格も取得した。
引きこもっている人・希死念慮のある人などの相談に手紙で、時には直接顔を合わせて向き合う。「アドバイスは決してしない。ただ話を聴き、心を開いてくれるのを待つんです」というのが宮本住職の流儀だ。
宮本住職に聞く「仏教って何?」
宮本住職は"抜苦与楽"、つまり苦しみを抜き取り心に楽を与えることが、仏教の目的の一つだと話す。
「例えば、仏教には"四諦(したい)"という言葉があります。四聖諦(ししょうたい)と言う場合もあります」と宮本住職は、一つの法話を説き始める。
四諦とは、生きている限り避けて通ることのできない「生老病死」を乗り越えていくための方法。「諦」という漢字は仏教において、明らかにするという意味だ。
「苦諦」で苦しみの本質を明らかに、「集諦」で苦しみの原因を明らかに、「滅諦」で苦しみを滅する方法を明らかに、「道諦」でその方法を実践してみる。抜苦与楽のために、この方法で自分の中の苦しみや悩みに向き合うことが必要だという。
「四諦の内容は、日常生活や書籍、テレビなどでも読んだり聞いたりしたことがあるような、実用的な方法だと思います。仏教にはこんな風に、私たちがいかにして苦しみを取り除き、心を楽にして生きていくかを具体的に説いてくれているものがたくさんあります」
誰でも、いつでも行けるお寺
宮本住職は「葬式の時にお経を聞くだけ」の現代の仏教には苦言を呈す。「亡くなった方のために『ありがたいお経を読むこと・聞くこと』がお葬式で一番大事なことではないんですよ。大切な人を無くした今、この世を生きる人がこれからどう生きるか、それを仏教を通して説くのが、我々の本来の役目なんです」
2023年6月。その役目を果たすため、岐阜県の本院・光明寺から寺号を受け戸塚区上柏尾町に誕生したのが「光照寺」だ。
オフィスの建物をそのまま再利用した外観で、一見、お寺と気づかない人も多いという。「定期的な法話会や、将来的には地域イベントの開催もしたい。周辺住民に親しまれるようなお寺になれば」と展望を語る。
一方で、一般に仏教への関心が希薄、また入信のハードルが高くなっているのも事実だという。そんな現代社会の状況を踏まえ「どの宗派から入っても、最終的に仏教で目指すのは『抜苦与楽と成仏』。正直、宗派はあまり関係ない」と話す。
仏教に関心がなくても、悩みがある時や誰かに話を聞いてほしい時、どんな人も気軽に訪れ「僧侶と話せるお寺」を掲げ、すべての人にお寺の自動ドアを開いている。