ナカザワ・キネン野庭吹奏楽団の団長として3月15日に第10回定期演奏会を行う 藤原大(だい)さん 二宮町在住 40歳
走り続ける野庭サウンド
○…「お前たちに俺の命はいくらでもくれてやる。だからお前たちは全力でついてこい」。恐ろしいほどの厳しさと情熱を持って野庭高校吹奏楽部を日本一にまで育て上げた中澤忠雄氏と母のように部員の面倒を見続けた信子夫人。その2人の遺志を継ぎ、吹奏楽部OB・OGで結成した野庭吹奏楽団は3月15日、10回目の定期演奏会に臨む。
○…「音楽は心だ」。1996年に他界するまで、がんと闘病しながら指導を続けた中澤氏が、常に伝えてきた言葉だ。大事にしていたのは観客に「聴いてほしい」「喜んでほしい」という強い思い。その徹底した考えが伝統の「野庭サウンド」を生みだした。吹奏楽団の設立は2004年に亡くなった信子夫人が残した「野庭の灯を消さないで」という言葉がきっかけ。すでに野庭高校は統廃合で無くなっていた中、「みんなで集まることを2人も嬉しく思ってくれるのでは」。その思いが背中を押し、設立以来、団長として50人あまりの団員をまとめてきた。
○…その音に初めて触れたのは中学3年生の時。すでに全国クラスだった演奏を聞き、衝撃を受けた。二宮町在住にも関わらず、学区外受験を決め、入部後は週6日、朝練のために5時47分の電車に乗って通学する生活。「笑えるくらいに怒られました」と振り返りながら、高校生活を思い出しては懐かしさに涙ぐむ。高校卒業後、メーカーに就職しながらも一念発起して大学へ。社会人と学生の二足のわらじを履くことも中澤イズムである「チャレンジする気持ち」があったからこそ。今では仕事の傍ら、秦野市民交響楽団でもチューバ奏者としても活躍する。
○…「今を精一杯走ること」を続けて10年。将来も「みんなで考えていきたい」と自然体だ。定演の選曲は中澤氏が生前やりたいと言っていたチャイコフスキーの大序曲「1812年」。そして最後は定番のあの曲。野庭サウンドの今を先生に伝える絶好の機会だ。
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