"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜43 平戸編(4)作・藤野浩章
秋までに、大砲を10門。これが、家康からの発注だった。しかもオランダとイギリスに同じ性能のものを5門ずつとし、価格を競わせる念の入れようだ。
最終決戦が迫っていた。豊臣方には各地の浪人をはじめ、全国的な禁教令によって大坂城に逃げ込んだ宣教師も多かった。旧教国対新教国の日本での宗教戦争も、いよいよ決着の時を迎えようとしていたのだ。
ようやく平戸に大砲が到着したのは1614年8月のこと。14kgの弾を約6キロ飛ばせる「カルバリン砲」と呼ばれるもので、大量の弾薬に加え、按針のリクエストで砲手も10名ずつやって来た。関ヶ原から14年が経ち、急速な武器の進歩を見込んでの彼の機転だった。
この頃の按針の気持ちは複雑だったろう。浦賀を拠点とした世界貿易が事実上不可能になったうえに、本国にいる妻メアリーの再婚で「待つ人がいてこその故国」であることを思い知り、望郷の熱い思いは冷めていた。さらに平戸滞在が長くなり、身の回りの世話をするたき(・・)は"現地妻"と言える存在になっていた。しかも自分を取り立ててくれた家康の寿命もそう長くない上に、秀忠と幕閣は極端な外国嫌いだという。
さて、これからどう生きていくか──。そんな終わりのない悩みを一時でも忘れさせたのが、この戦(いくさ)だったのかもしれない。
大砲を確認した家康は、以前から"いちゃもん"を付けていたいわゆる「方広寺(ほうこうじ)の鐘」問題の交渉を打ち切り、開戦を決定。11月、按針も現地入りする。「大坂冬の陣」が始まった。
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