"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜44 平戸編(5)作・藤野浩章
家康の作戦の基本は、持久戦だった。しかし今までと違うのは、その火力。大坂城本丸から約4・5キロある茶臼(ちゃうす)山の家康本陣には按針が率いる10門のカルバリン砲が置かれたほか、国産の大筒(おおづつ)も大量に持ち込んでいた。
対する豊臣側も大砲を備えたが、射程は約1キロのフランキ砲だった。そもそも旧式である上に、徳川方は二百の大筒を一斉に撃ってから、とどめにカルバリン砲が火を噴くという"新戦法"を容赦なく繰り出したものだから、結果は火を見るより明らかだった。
一方豊臣方は、一説によれば戦前には現在の価値で数千億の財力があったにも関わらず、肝心な武力の更新がままならかなったのが不思議だ。これに対し徳川方は、緻(ち)密な戦略に加えて按針のような先端を行く実務家がいたことが、天下を盤石(ばんじゃく)にしたポイントの1つになったと言えよう。
こうして12月下旬に和睦(わぼく)に至るが、家康は按針に紅毛人(こうもうじん)の砲手をしばらく日本に留めるように指示をする。近く訪れる最終決戦を睨んでいたのだ。
平戸に戻った按針がオランダ、イギリスに支払った大砲の代金は2万両。今の価値に換算すると約26億円ほどになるという。"戦(いくさ)は金になる"と両国が認識するのに十分だった。しかしこれは同時に戦のない世では大きく運命が変わることも表していたのだ。
平戸の家に戻ると、たき(・・)が出迎えてくれた。お腹の中には、のちにハルと名前が付く、按針の娘の命が宿っていた。この子も、後に大きく運命をもてあそばれることになる。
|
<PR>
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
法政大学校友会 横須賀法友会横須賀法友会は、市内在住・在勤の法政大学OBの入会を募集しています |
|
|
|
|
|
若松商店街振興組合飲食店、物販店など多彩な商店が揃う老舗商店街 https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4402/shoukou/cyusyo/data/4004.html |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
三浦市内で活動する同業者組合皆さまの身近にかつ、頼りにして頂ける存在となるように活動しています |
|
よこすか・やすらぎの会がんケアと在宅看取りに取り組む横須賀市唯一の団体です。 https://www.facebook.com/yokosukayasuraginokai/?locale=ja_JP |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<PR>