"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜45 平戸編(6)作・藤野浩章
「おお。とうとうやったか」(第十章)
◇
按針が大坂夏の陣における家康勝利の知らせを聞いたのは、遠く離れた琉球(りゅうきゅう)の地だった。
大坂の陣の直前にポルトガルなどの宣教師が一斉に国外追放になったことで、貿易は新教国の独壇場となっていたが、それが今度は英蘭の激しい競争を生んでいた。その中で、イギリス商館長コックスの要請でシャム(現タイ)へ貿易の交渉に向かっていた按針だったが、粗悪な船だったために途中の琉球で長い逗留(とうりゅう)を強いられていたのだ。
その時、大坂夏の陣では按針が手配した大砲、そして前年の冬の陣以来留め置かれていた"外国人部隊"の砲手たちが活躍。長く続いた戦乱の世が終わったのだった。
一方、結局シャム行きを断念して平戸へ戻ることになった按針を待ち受けていたのは、たき、そしてハルだった。実はこの前の年に逸見では妻・ゆきとの間に第二子のはる(・・)が生まれていた。はる(・・)とハル...「ゆき(・・)もたき(・・)も同じくらい大切な存在だから」娘も同名にした、と本書では解釈しているが、実際にはなかなか複雑な状況だったのかもしれない。もちろん、逸見(へみ)で夫を待ち続けるゆき(・・)はハルの存在をまだ知らない。
さて、琉球から平戸へ戻る時、按針は重要な土産を持ち帰っている。コックスが"アダムス・ポテト"と名付けたそれは、琉球芋。後に「甘藷(かんしょ)」「唐芋(からいも)」として広がることになる、いわゆる「サツマイモ」だ。江戸時代以降、食糧危機で多くの命を救うことになる。
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