"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜31 江戸編(3)作・藤野浩章
「オカエリナーサレマセ」(第四章)
◇
帰国よりも徳川政権下で生きていくことを決めたアダムス。この時、リーフデ号の乗組員には合計で四万レアル(六千四百両)が下賜(かし)され、日本のどこにでも住めるという条件も加えられた。現在の価値でざっと六億四千万円ほど。これをもって、リーフデ号は事実上の"解散"となったのだ。
不本意ながらもそれぞれが新たな歩みを進める中で、アダムスは「トクガワの懐にとびこむ」ことを選択した。まずは日本語の習得に励んだ冒頭の場面で、家康は上機嫌だった。江戸城に近い小田原町(おだわらちょう)(現在の日本橋室町)に屋敷を与えられ、そこから城に通っては幾何(きか)学、天文学、数学などの「家庭教師」となる。60歳を超えても、家康の知的好奇心はまったく衰えていなかったのだ。
一方でこの時間は、時の権力者に直接進言できる貴重な機会。特に外交では、旧教と新教の対立事情などの重要情報をもたらした。天下人が直々に貿易の許可を与える朱印船(しゅいんせん)貿易の復活、そしてポルトガルの生糸独占に対抗する糸割符(いとわっぷ)制度が導入されたのはアダムスの功績が大きいという。布教を足掛かりに世界征服を目指していたポルトガルやスペインを牽制(けんせい)し、朝鮮出兵でこじれた外交関係の修復といった微妙な舵取りに、彼の存在が欠かせなかったのだ。
やがて一六〇五年、秀忠に将軍職を譲ることになった家康は、彼の功績に報いるため破格のプレゼントをする。ウイリアム・アダムス40歳──直参(じきさん)旗本(はたもと)・三浦按針(みうらあんじん)が誕生した瞬間だった。
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