デッカー米海軍横須賀基地司令官の回想記を翻訳し、来月出版する「横須賀学の会」の代表 大橋 祥宏さん 富士見町在住 75歳
「デッカーさん」を今に
○…デッカー司令官の業績・人間性を尋ねると、資料に目を落とすことも無くすらすらと語る。その言葉の節々から、デッカー氏に対する思いが伝わってくる。感謝、感銘、尊敬、興味、驚嘆…。と同時に問いかける。「なぜデッカーさんの存在が、人々から消えたのだろう」。終戦直後の米海軍横須賀基地の司令官だったことを知らない人は多い。だからこそ「今」に呼び戻し、伝えていく意味はある。
○…司令官としての4年間の回想記『Return of The Black Ships』を3年以上かけて日本語に翻訳した市民グループ「横須賀学の会」。その代表として奔走してきた。「終戦から今日までの日本の民主主意を今こそ認識し直す必要があります」と力強く語る。日本語版『「黒船」の再来』の出版は来月に迫り、現在はゲラチェックなどの仕事に追われている。現役時代は(財)日本出版クラブに40年勤務した活字の専門家。1ページの行数を少なくするなど、「読みやすい」編集にこだわった。
○…自身も回想する。戦中は生粋の軍国少年だった。「小学1年頃から航空兵になりたいと思っていました」。その後終戦を迎え、米軍が進駐する。この時、田戸小学校の高学年。実体験として「(日本が)占領されたという意識はほとんどありませんでした」と振り返る。チョコレートをもらい、嬉しかった記憶もある。デッカー司令官に直接会ったことは無い。だが、当時多くの人が「デッカーさん」と呼び慣れていたという。同書では、その「デッカーさん」が日本人や横須賀をどのように見て感じたかを、そのまま読むことができる。
○…スポットを浴びていない横須賀の魅力はまだたくさんある。「15や20はすぐに言えますよ」と笑顔を見せる。明治時代に横須賀で見つかったナウマン象や、平坂で発見された平坂原人。我がまちへの興味・関心は尽きない。それが原動力にもなる。次は、どんな人物・出来事に光が当たるだろうか。
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