横須賀市議選 選挙戦を振り返って 現職、新人の当選者
定数41に対し61人が立候補した横須賀市議会議員選挙。現職市議の間では、選挙活動を一部自粛する紳士協定が結ばれ、当初は「静かな選挙」になることが予想された一方で、後半戦になるにつれ、徐々に選挙カーの台数が増え、駅頭などで直接政策を訴える候補者の姿も目立つようになった。立候補者はどのような選挙戦を展開し、有権者の理解を得たのか。現職、新人ともに当選者の活動から振り返る。
最多得票
当確の第一報は開票が始まって間も無い午後9時過ぎ、新聞社のインターネットサイトだった。「何かの間違いだろう」。信じられないという思いが強かったが、1時間後のテレビの選挙速報で確信に変わる。だが、それからすぐに信じられない事実に再び遭遇した。確定した得票数の一番上に上地克明(無所属)6495票の文字。4年前の選挙から約4000票も上回り、トップ当選した。
選挙戦では市民に「顔をさらす」ことを意識したという。街頭で潜在的な支援者に会う機会を朝夕につくった。自らの思いを述べたのは最後の2日間のみ。家族主義、地域主権、行財政改革推進を中心に訴えかけた。選挙を振り返り「8年間やってきたことを評価していただいたと思います」と分析。家族や地域の仲間を具体例に挙げ、「支援して下さった方には感謝の気持ちでいっぱい」と話す。
一方で自責の念にも駆られる。自身が団長を務める会派「ニューウィング横須賀」は4議席から半数になり”片翼”を失った。会派の方向性は白紙。それでも「予算をチェックし政策提案する」という市議の本質を今あえて掲げ、新たな4年間に臨む。
最年少
市政史上最年少となる26歳で初当選した嘉山淳平氏は、地元長井の事務所で支援者らに祝福された。
市長交代から傍聴を続けてきた市議会。山積する課題が棚上げされ、市長への批判ありきの議論に市民感覚とのズレを感じた。「議会こそ変わらなければ─」この思いに駆り立てられ立候補を決断した。
本格的に政治活動をスタートさせたのは昨年7月。週に3〜4日、駅頭で議会改革の必要性を声高に訴えてきた。自作のチラシを携えての演説、自転車遊説、ブログでの活動報告は、学生時代に当時市議だった吉田市長のインターン経験で学んだ手法。市長とはいわば師弟の間柄となるが、「政策には是々非々のスタンスで臨む」と決意を語った。幅広い世代に政治への関心を持ってもらうことも重要テーマに掲げ、議会の土日開会などを提案していく考えだ。
先の震災の翌日には、自身の政治活動を休止して、誰よりも早く街頭で義援金の協力を呼びかけた行動派。駅立ちの際には周辺のゴミ拾いを欠かさず行い、1日の成果をブログで公開している。議員になってもこれは継続していくという。
雪辱
市議選3回目の挑戦となった山城保男氏(無・新)は、8年越しの雪辱を果たし、初当選を決めた。「まさに3度目の正直。皆さんの支えのおかげ」。当選の興奮冷めやらぬ事務所で、噛み締めるように語った。
活動自粛が目立った選挙戦だったが、横須賀の明日を決する選挙であることを「市民に意識してもらうため」街頭に出た。駅での朝立ちも毎朝欠かさず、最後まで市民へ訴えを続けた。結果、2112名の支持を受け、市会への道を開いた。
横須賀を誰もが安心して住める街にしたいという山城氏は、「毎年14億円近い運営赤字を作り出しているハコモノを見直し、その基金を子どもやお年寄りに振り向ける」と主張。反対を貫いてきた原子力空母については、「市民の7割が不安視しているのに、吉田市長は説明責任を果たしていない」と断じ、「まずはきちんと情報公開させること。政府・米軍との再度の交渉へつなげたい」と語気を強めた。
「まだまだ勉強が必要」と語る63歳の一年生議員。「最後まで責任をもって市民の声を議会に届ける」と、4年間への決意を新たにしていた。
|
|
|
|
|
|