船越町 ガントリークレーン撤去 100年の歴史に幕下ろす
船越町の東芝ライテック(株)横須賀工場周辺に1886年から1945年まで置かれていた旧海軍工廠造兵部。造兵部内の砲塔工場の一施設として造られたガントリークレーンが、老朽化のため取り壊された。貴重な日本近代化遺産で、市内最後のクレーンだったことから市民からは「残念」との声も上がっている。
長浦港周辺に、明治から戦後の間に置かれた旧海軍工廠造兵部。部内には機銃工場、水雷工場、機械工場、発電工場や作業所などの建屋が設けられていた。昭和10年代には3万人を超える人々が働いていたため、住宅や商店、娯楽施設が立ち並び、横須賀北部地域で最も栄えていた地区だった。
今回撤去されたのは、海上自衛隊横須賀造修補給所が管理していたガントリークレーン1基。八幡製鉄所製の鉄骨などを使い、1914年(大正3年)に造られたとされている。大きさは高さ約20メートル、長さ約35メートル、幅約20メートル。長浦港埠頭の一角にそびえ立ち、旧砲塔工場から海に向かってのびていた。市生涯学習課によると、戦前は旧海軍の軍艦に搭載する大砲を移動する際の積み下ろしに使われていたという。
解体理由は「老朽化」
日本の近代化を支え、軍都であった横須賀の歴史を紐解く上で貴重なガントリークレーン。市内に残る唯一のクレーンでもあったことから市港湾企画課と生涯学習課は、海上自衛隊に対し、保存を要望した上で協議を行ってきたが、老朽化が進んでいることなどから断念。今夏に撤去が完了し、建造から約100年でその歴史に幕を閉じた。市民からも「大切な近代化遺産。文化財として残してはどうか」と解体を惜しむ声もあったが、今はクレーンの基礎となる石積みの橋脚を残すのみとなっている。そのほかにも、周辺にあった砲架組立工場、砲熕工場、製缶工場、砲塔工場が相次いで取り壊され、姿を消している。
これらの旧工場跡地は、防衛省が管理しており現在更地になっているが、今後の利用先は分かっていない。
過去には、多くの軍艦の船体を造り出していた本町3丁目(現在のショッパーズ横須賀前)の住友重機械工業横須賀分工場内にあったガントリークレーンが、1975年に解体されている。当時から現存する建造物は、東芝ライテック工場内の旧造兵部正門や旧庁舎などがある。
周辺地域では整備・緑化の要望も
旧海軍工廠造兵部の目の前に広がる長浦港。多種多様な魚が釣れ、自衛隊艦船などの船舶を臨む好ロケーションが理由で、休日になると多くの釣り客が訪れているスポットだ。護岸沿いには市道がのびており、地元船越地区の9つの町内会と自治会が加盟する「船越連合町内会」からは、市有地部分の公園化を望む声が上がっている。岸壁の一部はガードレールや簡易柵などが取り付けられていないところもあり、海辺つり公園(平成町)のように遊歩道を整備し、緑化するなど「誰でも安全で楽しく海にふれあえる地域の憩いの場を設けてほしい」と関係者は話している。
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